夜は、少しだけ遅れてくる。
窓の外が暗くなる前に、部屋の中のほうが先に落ち着く。
明かりは点ける。
点けなくてもいいが、点けておく。
円は、カップをもうひとつ出す。
来るかどうかは、分からない。
それでも、置いておく。
位置は、さっきと同じにする。
窓から少しだけ離す。
光はもうない。
代わりに、影が整う。
それでいい。
机の上に、紙を一枚置く。
今日の分。
形式は同じ。
項目も同じ。
時間、来訪者、気になっていること、対応。
円は書く。
時間は、記録する。
来訪者も、書く。
気になっていることは、空けておく。
対応は、先に書く。
「維持」
それで揃う。
廊下で、音がする。
足音ではない。
重さがない。
ドアの前で止まる。
ノブは回らない。
そのまま、入ってくる。
空気が、少しだけ奥にずれる。
円は顔を上げる。
誰もいない。
いないまま、席に座る。
カップの水面が、わずかに揺れる。
円は、もうひとつのカップを押す。
ほんの少しだけ。
揺れが止まる。
それで足りる。
「何かありますか?」
声は、いつもと同じにする。
返事はない。
代わりに、紙の上の空白が変わる。
気になっていることの欄に、何かがある。
円はそれを読む。
読める形ではない。
意味もない。
ただ、崩れている。
円は、ペンを置く。
紙の位置を、少しだけ直す。
机の縁と平行にする。
それから、カップをもう一度動かす。
影が、揃う。
「大丈夫です」
そう言う。
言うと、空気が少し戻る。
奥行きが、浅くなる。
それで揃う。
紙の気になっていることは、空白に戻っている。
円は、そのままにする。
対応の欄だけが残る。
「維持」
しばらくして、席が空く。
最初から、誰もいなかった形に戻る。
円は立たない。
そのまま、次の紙を用意する。
夜が終わる。
ドアを閉める。
鍵を回す。
音は、朝と同じだ。
重くも軽くもない。
ただ、決まったところで止まる。
円は、振り返らない。
中は、もう見なくていい。
整っている。
それで足りる。